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西の都の物語

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冬が始まるよ♪

三国志の話 孫呉の兄弟相続と周王室

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映画「レッドクリフ」も絶好調のようで、周瑜、孫呉ファンにはたまらない一年でしたねぇ♪

うんうん。

年内にもう一度くらい観たいな。

というところで、ちょっと三国志の話。

いや、もう少し遡ってみよっかなー、という話。



話はいきなり、代。

殷代の周、の話。

後に殷を倒し、周王朝をひらく武王の曾祖父、古公亶父(ここうたんぼ)の代。

ちなみに、武王の父、文王にとって太公にあたる古公亶父(ここうたんぼ)が、

いつか、この国(周)に聖人が現れて、その時、この国は盛んになる、

という予言まがいのことを言って、待ち望んでいたってことで、

文王は呂尚を太公望(じいさんが望んでた人)と呼んだって人。

太公望って漫画の「封神演義」の主人公だった子ね。



ってことで、古公亶父という人が太公望の名前と深く関わりあいがあると分かると、

ちょっと、ああ、そうなんだ、って感じで少し身近になるかな、と。

そして、この古公亶父から話が始まる。



古公亶父には三人の息子がいた。

長男・泰伯(たいはく)、次男・仲雍(ちゅうよう)、末子・季歴(きれき)。

本来、長子相続を正統とするなら、後を継ぐのは長男・泰伯(たいはく)である。

ところが、末子・季歴(きれき)の子、昌には聖人のしるしがあったという。

古公亶父は末子に相続させたいが、長子相続の例にならえばそれも難しい。

古公亶父は悩んだ。

それを知った、長男・泰伯(たいはく)、次男・仲雍(ちゅうよう)は自ら国を出て、

揚子江流域に国を建てた。

これが、春秋期の呉の建国伝説だという。

どこかで聞いたことのある設定だと思ったら、こりゃ、北斗の拳だわ。笑

まあ、それはよしとして。



古公亶父 ┌── 泰伯(呉王 )
       ├── 仲雍(兄に子供が居なかったため呉王を継ぐ)
       └── 季歴 ────── 昌(文王) ┌──武王(周王朝開闢)
                             └──周公 


もし長子相続という観点で観るならば、呉こそが周の正統、と言えなくもない。

呉には、どうやらそういう意識がちらほらとあったらしい。

ちなみに長子相続がデフォルトになるのって、殷代末のことで、

古公亶父の周辺りのかっぺはまだ兄弟相続が当たり前だったのかもね。

と、思ったら、周は農耕文化で長子相続、殷は遊牧あがりだから末子相続がデフォだったのか。

ま、いーや。




時代を下る。

下って、時は春秋時代末。

泰伯から数えて19代目の呉王、寿夢(じゅぼう)の代。

同じ悩みが起こる。


寿夢 ──┬─ 諸樊 ── 光(後の呉王・こう閭) ── 夫差(臥薪嘗胆の臥薪の人)
       ├─ 余祭
       ├─ 余味 ── 僚
       └─ 季札 


死者にむち打つ伍子胥や、孫子の兵法書で有名な孫武、呉越同舟などのことわざで有名な時代のこと。

ちなみに、孫子の兵法書は、孫武かその子孫と言われる孫[月賓]の書いたものか、

現代に伝わるのは、三国志の曹操が注釈を入れて書き残したものなので、

どちらのものかは分からないとされていたのだけれど、結局、両者の竹簡が発見され、

孫子の兵法書とは、孫武のものに曹操が注釈をつけたものだということが分かった、らしい。



寿夢は末子・季礼を後継者にしたかった。

そこで故事にならい、呉の相続を兄弟相続にすることに決めた、らしい。

ところが、その季札が王位を受け取らない。

結局、王位は三男、余味の息子、僚に継がれることになったのだが、収まらないのは、

長子の息子、光であった、と。

その公子・光と復讐の鬼・伍子胥が巡り会うところから、

春秋末の宿敵物語、呉越の話が始まるのだけれど、これはまた別の話。





そう。

ここまで来たら、僕が何を当て推量してるか分かって貰えると思うんだけれど。

ここからは時代がさらにさらに下って、三国志の時代。

つまり、レッドクリフ。

レッドクリフ時代の呉の話。

孫家の呉の話。



僕は、前々から、孫家の兄弟相続に興味があって、

日本も飛鳥の時代、兄弟相続やってたりするものだから、

そういう風習が呉からやってきたのかな?なんて思うこともあって、でも詳しく調べたりはしてなくて。

赤壁の戦いの前、官渡の戦いで曹操は袁紹をを破るんだけど、

結局、袁家が滅びるのは、袁家の三兄弟の跡目争いが元で、

それに比べて、孫家の兄弟相続のなんとスマートなことか、という評価くらいしかなかったわけ。



でもね。



呉が周の正統、という権威付けを欲しがっていたとしたら、どうだ?

孫家が建てる国を、古の呉になぞらえることで、さらにその向こうの周をイメージさせようとしたなら・・・。

っていうかね、

これ、


古公亶父 ┌── 泰(呉王 )
       ├── 雍(兄に子供が居なかったため呉王を継ぐ)
       └── 歴 ────── 昌(文王) ┌──武王(周王朝開闢)
                              └──周公 

孫堅文台 ┌── 符(孫策)
       ├── 謀(孫権)
       ├── 孫翊
       └── 佐(孫匡)


分かるかな?

伯、仲、季 の並び。

あっ!って思わない?

よく、劉備が漢中王を名乗って、劉邦をなぞらえたって話は聞くけど、

孫家が呉を通して、周の正統をなぞらえたって話は聞いたことなくない?

いや、もしかしたらあるのかも知れないんだけど、僕は知らなくて。



これ、妙に符号が一致するんだよね。

出来すぎ。



さて、この出来すぎ。

後代に作られたものかどうか、よく分からない。

調べる気もない。笑

もし、気になる人が居たら、研究して下さい。

でも、せっかくだから、もう少し、面白い当て推量を続けて行ってみようと思う。

さらに、パズルははまる。



もし、この符号の一致を考えた人間が三国時代にいるとしたらそれは誰か。

実は、ここに、もう一人、きっちりとパズルがはまる人間が居る。

春秋の超専門スペシャリスト。

その当時のことをめちゃくちゃよく研究していた男。

映画にも出てましたな、孫家の文官筆頭として。



張昭



その著作には「春秋左氏伝解」や「論語注」があると言われている。

この孫家の兄弟相続に、張昭のひらめきをみるとしたら。

孫策が亡くなった後、会稽ではなく、なぜ、孫権は「呉」を選んだのか。

(実は、この時孫権は曹操によって会稽の太守に上表されているが、会稽に向かわず呉・現在の蘇州に行った)

孫権に呉を選ばせたのは誰か?



孫策伯符の臨終に際し、それを逆手に、呉という国の向こうに古の周王室を透かし見せよう、

孫家を呉の故事になぞらえさせて、権威付けをしよう、と、張昭が考えていたとしたら。

もちろん、そこには自身の野望、周の儀礼政治への復古、つまりは儒への傾倒を潜ませつつ。



これはあり得ない話ではないんじゃないのかな?

そして、この張昭の密やかな野望こそが、後々、呉を分裂させる火種になっていってしまった、と。



徹底的に儒から才への脱却をはかり、国を強くするためになりふり構わぬ曹操と対峙するのに、

儀礼優先の政治なんかやってられるか!!相手は曹操だぞっ!!という孫権と、

周という国の幻想にあつまってきた、復古主義者、儀礼礼賛主義者とのギャップ。

そこから、呉は破綻を見せ、結局、亡国の憂き目にあってしまった、と。



なーんてね。



クスクス



ぜーんぶ、嘘っぱちの、てきとーなひらめきなので、あんまり真剣に読まないで下さいね、っと。




おっと、最後にもう一つだけ。

周瑜公瑾のこと。

瑜っていう漢字は珍しくて、説文にちょろっとあるんだって。

「瑾瑜」

瑾瑜っていうのは、玉の名前らしい。

ピンクパンサーみたいなもんかな?

とても美しい玉のことらしい。



クスクス



これも、なんか作り臭いよね。

だって、周瑜公瑾の瑜が、他に出てくるのが「瑾瑜」っていう美しい玉の名前って言うんだから。

「周」の美しい玉。

考えすぎ?



クスクス



もちろん、「瑜」には「癒」の意味も込められ、

周という古の政治を治癒させる、とても美しい玉

「周瑜公瑾」にはそんな意味があったりしてね。

もしくは武王に対する、その弟周公のなぞらえ。



クスクス



全部、てきとーですよ。

真に受けないように。



張昭もせっかくだから、張とか名前変えればかっこよかったのにね。



クスクス
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by hot_soul | 2008-12-17 20:48 | 夜の戯れ言