旧日田街道
ちょっとだけ遠回りをして宝満川のほとりを走って帰ってみました。いつもの御笠川は博多湾に。宝満川は筑後川を経て有明海に。宝満山(御笠山)から始まる二つの川が百キロも離れた場所に河口を持つ。面白いよねぇ。宝満川のほとりは蘆岐の野。DAIの一番好きな散歩コース。でも、もうすぐそのど真ん中にでっかい道が通るんよね・・・。
をみなへし 秋萩交る蘆城(あしき)の野 今日を始めて 万世に見む
ってか。いや、女郎花には時季がちょっと早いか・・・。
月夜よし 河音さやけしいざここに 行くもゆかぬも 遊びてゆかむ
そういえば、東京に帰る前はここで月夜を堪能してたっけねぇ・・・。万葉の人も同じ気持ちだったんだ。不思議不思議。
玉くしげ 蘆岐の川を今日見ては 万代までに 忘らえめやも
その千年の風景も切り裂かれっちまうんだよね。蘆岐の原を切り裂くのが、歴史の集積所・九州国立博物館行きの道路ってのが皮肉なもんだねぇ。とか思いつつ、あれ?この道、どこに行くんだろ?と、細い脇道へ。
ほどなく行ったところに「旧日田街道」の小さな看板。・・・え?・・・え?え?ええええ???これが九州三街道の一つ「日田街道」ですか??ウッソーーーーン。日田は江戸時代、西国天領の郡代が置かれた街で、博多と日田を結ぶ日田街道は長崎街道、薩摩街道と並んで栄えたとかって、ええええええ????こんな道なの??
さらに進むと筑紫広門の支城「柴田城」。うっぴょーん、これが城??筑紫広門と言えば島津氏の北部九州侵攻のきっかけを作った人物で・・・。ああ、もうなんだか色んな歴史が一気に頭の中を駆けめぐりましたよ。そして一気に色づきました。歴史なんて、案外生活のすぐそばにこうして当たり前のように息づいているものなんですね。
by hot_soul
| 2006-06-17 21:55