ブログトップ

西の都の物語

hotsoul.exblog.jp

冬が始まるよ♪

菩提樹

b0016043_21213932.jpg




                              **


太宰府にある観世音寺の横に、
かつて西戒壇院と呼ばれた、三戒壇院の一つがある。

昔は観世音寺にあった戒壇院だけれど、時の流れの中で、
どうやら今は聖福寺に属しているらしい。
詳しいことは知らない。


                              **


中国に旅立つ前に、3号から100メートルほど奥まった、
太宰府市役所前の道を通ってみた。
戒壇院の前を通っておきたかったからだ。
この戒壇院は、鑑真大和尚が開いたものだ。


                              **


仏教を取り入れる形で、日本では律令制度が発達していくのだが、
当時、日本には戒律を与えられる僧がいなかった。
つまりは免許制度がなかったわけだ。
だから、誰でも僧侶を名乗ることができた。

こまったのは当時の政府だ。

なぜか?
僧侶からは税金が取れないからだ。
税金逃れのために、勝手に僧を名乗るものが増えた。
そこで、中国から高僧が招へいされ、免許制度を整備しようとした。
そういう話だと理解している。

そんな中で鑑真大和尚の摩訶不思議大冒険譚が生まれたわけだ。
「天平の甍」なんかが有名。

今回の旅の目的地の一つに、揚州・大明寺がある。
鑑真縁のお寺さんである。
大明寺と戒壇院を結ぶラインを辿る。
ただそれだけで、十分ロマンではないか。


                             **


観世音寺には宝蔵がある。
いや、その前に少し。

大宰府の古い史跡を辿るのは、基本的に簡単だ。
市役所前の一本道に大体のものがならんでいる。

大宰府政庁跡という名の原っぱ。
学校跡という名の原っぱ。
観世音寺。
戒壇院。

一時間もあれば、悠々とお散歩できる。
お散歩コースとしては実に優秀なのだが、
本格的な万葉歴史ロマンを求めている人には、なんとも物足りないかもしれない。


                             **


そんな原っぱ続きの中に、観世音寺と戒壇院はある。
普段は境内に人はほとんどいない。
寂れたお寺さんである。

時々、小学生がスケッチ大会で境内を賑わせるくらい。
かくいうDAIも小学生の頃観世音寺でスケッチ大会をして、
なにか金賞のようなものを貰い、天神の大丸に掲載されたりした記憶がある。
それはいい。


                             **


なんだ、なにもないのか。
なにもない原っぱで悠久の万葉ロマン。
ま、それもまたよし、かな。
と、大いに深呼吸して、太宰府天満宮、九州国立博物館へ向かうのが
一つのおきまりごと。

なのだが、その観世音寺のとなりに、宝蔵が建っている。

ちょっと正倉院風というか唐招提寺風の鴟尾がついているくらいで、
なんの変哲もない宝蔵。

ま、観世音寺に関するちょこまかしたものが飾られているのかな?
ま、行っても行かなくてもいいか。
というのがパッと見の正直な感想になるだろう。

だが。

このなんの飾りっ気もない、しょーもなさそうな宝蔵がくせ者なのだ。
騙されたと思って入って頂きたい。
つーか、騙してでも連れて行きたい。


                           **


中国、江南地方に栄えた南地仏教は、三国時代、呉の孫権の時代、
康僧会(こうそうえ)が建業に建てた、建初寺に始まる。
なんて言う話はすっとばして、霊隠寺を見るまでもなく、観音信仰が盛んであった。
ということにしよう。
なぜなら、DAIが見て回った限りでも、巨大な観音菩薩像に度々出くわしたから。
詳しくはこちらのサイトを覗いて頂きたい。
観音信仰の歴史


                            **


中国で出くわした観音菩薩像はどれも巨大で、そして、金ぴかだった。
それはDAIが常々夢想していた仏像の姿そのもので、
京の街を歩くときに感じる、いや、こういうんとちゃうやろ、仏教っていうのは、
という不満を一発でぶっ飛ばすほどの迫力があった。

赤や金でギンギンギラギラに着飾って、偉容を誇り、
また、それに対峙する人間も、エネルギッシュで、わびやさびの概念からはほど遠い。
そんなプリミティブな仏教が、今も中国では現役そのものである。


                             **


観世音寺の宝蔵を覗いて頂きたい。
そこには、4~5メートルの偉容を誇る仏像がズラリと並んでいる。

コンクリートの打ちっ放しのような、なんの変哲もない宝蔵の中に、
秘仏と隠すこともなく、偉容を誇る仏像が突然ズラリと目の前に現れる。
もちろんその中には十一面観音菩薩像など、観音菩薩もある。

そして、その仏像群は、未だに金箔をまとったギラギラなのだ。
それは、江南地方で出会った観音菩薩像を彷彿させる。

宝蔵の仏像と出会った瞬間、古代、中国と日本との密接なラインが、
肌の実感として、感じられ、そこに鑑真大和尚や、玄昉、行基、藤原仲麻呂などの、
ロマンの中の人物に息が吹き込まれていく。


                             **


この宝蔵の入り口に、チケットを販売してくれるA氏という人物が座っている。
市の教育委員会かなにかをされていた方かと尋ねると、
一介の市井の人物だという。

先日、尋ねたときに、今度、大明寺に行くので、その前に戒壇院を覗いておこうかと、
と、語りかけると、A氏はすごい勢いで色々なことを語ってくれた。

福岡と南京は友好都市だということ。
合肥と久留米は姉妹都市ですよね、と問いかけると、そこの蘊蓄も深く語って下さった。

なにより、ご本人が毎年中国、特に江南地方に足を向けられ、
寒山寺や大明寺にもしばしば足を運ばれるという。
話は続く。

太宰府西小学校と南京の小学校は友好校で、この話は知っていたのだが、
交流のために来日するときには南京の小学校の校長先生などが、
A氏の家に寝泊まりしているという。

さらに、A氏はしばしば中国の学生のホームステイを受け入れ、
正月になると、A氏の家には10数人からの中国の学生がやって来るという。

もう、なかなか年だから、大変だけどね、と口にしながら微笑むA氏の顔を見ると、
ふ、と、鑑真大和尚もこんなお顔をされていたのかも知れないな、と思った。


                            **


中国、大明寺には鑑真和尚記念堂が建っており、
そこには日中友好の火が1年365日絶やさず燃えていた。
確かに、政府レベルでそのような形を造っていくのもいいだろう。

しかし・・・。

それ以上に、名も無き寂れた宝蔵の入り口に座っているA氏のような方こそが、
日中友好の真の立役者として評価されて欲しいと願う。
DAIは心の中でこっそりと、A氏のことを「今鑑真」と呼んでいる。

A氏は当年、78歳。
平均寿命まであと1年。
時間があれば宝蔵に通って、A氏の話を聞いておこうと思う。


                            **


戒壇院には鑑真大和尚が植えたと言われる菩提樹が、
青々と美しく輝いていた。
[PR]
by hot_soul | 2007-07-26 22:20